BISESとはABOUT US
「もっと素敵に、花と緑のある暮らし」
ビズ創生期のヒストリー
この国を森にたとえるなら、私たちは数十年前、その森にポトリと落ちたひとつの木の実でした。その小さな音に、草のそよぎや小鳥のさえずりに耳を澄ましている人たちだけが気づいてくれました。私たちはやがて一本のまっすぐな樹木となり、緑の葉っぱを繁らせ、それをほんの少し揺らしてみました。すると、どこからか風が吹いていることに、前よりもっとたくさんの人が気づいてくれました。私たちはそうやって、いつもごく単純なことを低い声で語ってきました。素朴なことを、囁くようにつぶやくように語ってきました。 BISESの創生期。それはそんなささやかな営みを繰り返しながらこの森で生きてきた雑誌の、ちょっとした冒険の物語です。私たちの声は、いまもあなたの胸に届いているでしょうか?
BISESの歴史
HISTORY
-
1992年『創刊』BISESは1992年5月、婦人生活社発行のインテリア誌『私の部屋』のリニューアル誌として創刊されました。誌名はBISESと書いて『私の部屋ビズ』と呼びました。詳細はこちら
-
1993年『モネの庭』創刊号から'92年冬号まで表紙はスペインの画家マネル・アノロの作品でした。しかし、'93年の早春号からは表紙がイギリスのガーデンフォトグラファー、アンドリュー・ローソンの写真に変わりました。詳細はこちら
-
1994年『シシングハーストのホワイトガーデン』イギリスでもいちばん美しいといわれているシシングハースト・カースルの庭を大々的に紹介したのは'94年の早春号でした。もちろん、大好評でした。詳細はこちら
-
1995年『チャールズ皇太子の庭』BISESの歴史の中でも記念碑的な1冊が'95年の早春号です。『チャールズ皇太子の庭』という大特集が皇太子ご自身の同意を得て、この号に掲載されました。詳細はこちら
-
1996年『ヘッセを読もう』'96年盛夏号の『庭仕事は瞑想である ヘルマン・ヘッセ、もうひとつの顔』は、『庭仕事の愉しみ』(岡田朝雄訳)というヘッセのエッセイ集を出版しようとしていた草思社との同時進行企画でした。詳細はこちら
-
1997年『BISESガーデン大賞』第1回BISESガーデン大賞の募集を発表したのは'96年冬号。それに対して、応募はなんと全国から988通。いずれも水準が高く、グランプリを選ぶのに苦労しました。詳細はこちら
-
1998年『常寂光寺の紅葉』'97年11月、創刊以来、数々の傑作写真で私たちを興奮させてくれたアンドリュー・ローソンが初めて来日しました。「日本の庭を撮りたい」という彼を編集部は京都の常寂光寺に案内しました。詳細はこちら
-
1999年『生まれ変わったBISES』新生BISESは、まず'99年5月に『緑と握手する家』という創刊準備号を発行。続いて7月には創刊号をナチュラリストの生活誌として発行しました。詳細はこちら
-
2000年『タイム「マガジン大賞」受賞』'00年3月、BISESは予想もしていなかった賞をいただくことになりました。米タイム・グループのマガジン大賞写真部門で「とても美しい雑誌」として第3位に選出されたのです。詳細はこちら
-
2001年『スノードロップが大人気に』春まだ浅いうちに純白の小さな花を咲かせるスノードロップは、まるで早春の妖精のようで、いま大人気です。詳細はこちら
-
2002年『No.21冬号 BISESが伝えたかったことの集大成』連載「チャールズ皇太子の庭から」は読者の間に大きな反響を呼び起こした。詳細はこちら