被災地を訪れて
2011年07月20日
7月14日東北新幹線で仙台へ
「オープンガーデンみやぎ」の鎌田秀夫さんの案内で、宮城県内数カ所の被災地を見て来ました。鎌田さんは、全国の様々な花緑関係者から申し出のあるチャリティの受け皿を、一手に引き受けている人で、ご自身、泉緑化という会社の経営者でもあります。この時期、多岐に渡る災害復興の超多忙な仕事をこなしながら、1日お付き合いくださいました。車中での話から、津波が残したガレキ処理が、どんな勢いで進められてきているかがよくわかりました。大都市仙台に隣接する被災地での復興活動にはスピード感があって、ほんの少し、ほっとしました
宮城県荒浜にて
この写真は津波にやられた荒浜で撮影したもので、松林や松の木 の残骸です。浜辺に連なってきれいな景観をつくっていた数万本も の松林が、一瞬で大ダメージを受けたと聞きました。被災直後から、 仙台市の要請を受け、たくさんの造園業者がそれぞれ重機と共に荒 浜入りし、毎日100人単位で1か月間、松の木の撤去やそれを粉砕 してチップ化する作業にあたりました。
荒浜のアドベンチャー・プレイランド
荒浜の際にありながら15mほどの高さをもつこの小さな丘は無事でした。ここは冒険の丘、アドベンチャー・プレイランドと呼ばれていた所で、子どもたちに外遊びや冒険ごっこなどを教える活動をしていたところ。3月11日もプレイリーダーの男性と子どもたち5人が丘の上にいて津波から逃れることができました。今、ふもとから丘の上に残る遊具を見ることが出来ます。コンクリートの巨大堤防がことごとく破壊された中で、緑豊かな土の小山が生き残ったという事実が、地元の人々に未来への展望を与えているとのことです。樹木と草の緑におおわれた土の“スーパー堤防”なら、異様さも圧迫感もなく人々の命を守ってくれるかもしれない。今、行政の決定を待っているところだそうです。
宮城県七ヶ浜地区
ここはニュータウンの七ヶ浜地区です。ほんの少し土地が高かったことで、無傷で残った家々と、完全に破壊された地域に明暗が分かれた場所。バスでやってきたボランティアや関係者60人ほどが作業をしていました。
宮城県東松島の石蔵と鎌田さん
野蒜(のびる)駅そばにぽつんと残った石蔵。ヒマワリが1輪咲いていました。1日案内してくださった鎌田秀夫さんです。
仮称 「花と緑で3.11プロジェクト」設立
仮称 「花と緑で3.11プロジェクト」設立
7月14日夜、6時から仙台市内のホテルで、「仮称 花と緑で3.11プロジェクト」の設立会議がありました。これまでに園芸、ガーデン、種苗業界からの、大小さまざまなチャリティの受け皿として関わってきた鎌田秀夫さんの呼びかけで会議が開かれ、この日、参会者の同意を得て設立しました。地元の人々が中心になって、今後、全国の人々と手を結び、花と緑で被災地支援を続けて行くための、現地拠点にしたいという趣旨説明が行われました。
オープンガーデンみやぎ、歴代の会長
歴代リーダーが顔を揃えてくれたので、久々に再会を果たせました。「オープンガーデンみやぎ」を支える活動の要、頼れるリーダーたち。
初代
大森依子さん
2代
瀬上京子さん
3代
柳谷明子さん
4代
菅原典子さん
4代 副会長
大場ゆきみさん
7月15日岩手県に入る
7月15日、この日は、世界遺産に登録なった平泉・中尊寺から陸前高田へと向かいました。緑深く、聳えるような参道の杉木立、平安文化を伝える金色堂は、極楽浄土の輝きを現世に伝えています。微動だにせず、深々とつづく静寂の森。大賀蓮(おおがはす)がふっくらとしたうす桃色の花を開いていました。平泉から陸前高田までの山道は、豊かな緑に抱かれた平和な山村が続きます。緑の中に点在する家々は、威風堂々として瓦屋根も美しく、岩手県の生活文化の大らかさと底力に触れる思いがしました。15日は「オープンガーデンいわて」の代表を務める吉川三枝子さんのご案内です。
「オープンガーデンいわて」
吉川三枝子さん
陸前高田 仮設住宅
陸前高田 仮設住宅
小学校の校庭には、仮設住宅が建ち並び、自衛隊のテントや浴場も設営されていました。学校の階段や仮設住宅の周囲にはたくさんのプランターが置かれ、その中でで花や野菜が良好な生育ぶりを見せています。住民の皆様が慈しんで水やりをしているからでしょう。仮設住宅の端には巨大な浄化槽が並び、それを囲む金網フェンスにはハンギング・バスケットが彩りをそえていました。こうした野菜、花々、ハンギングなど、全国からチャリティとして寄せられた品々は、「オープンガーデンいわて」の会長、吉川三枝子さんや「ガーデンプランツ工藤」の工藤清二さんたちが避難生活を余儀なくされた人々に配りました。とはいえ、花苗、種、プランター、土などはそろそろ行き渡った感もありました。花も野菜も時期がある生物です。できるだけ皆さんに、同じように、しかも一時も早くとする心配りは相当にハードな仕事だったように見受けられました。
【写真撮影:三浦 明】
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