アッ、ひっかかっちゃった! パソコンが打ち出す珍妙な漢字のおかげで、原稿チェックに思わぬ笑いが生じます。ビズ盛夏号(2001年7月16日発売) の京都特集23ページ、徳力道隆氏の話の中で出くわした一文です。「我が家で様式といえばトイレくらいのものでした・・・」(?!)いったい何のことだろう。彼は西本願寺の専属絵師の家系だそうだから、トイレにも一般庶民の想像をこえる特殊な作法か形式があったということか・・・・・・思案は続く。やがて答えがわかりました。なあんだ洋式のことか。深読みがわざわいした、とんだまわり道。拍子抜けとはこのことです。
京都特集ではもうひとつ、タイトル脇につくリード(記事の主旨をダイジェストした短い説明文)を京都弁で書くことになりました。わずか5行ばかりなのに、これが大変難しい。力を入れて書いた後、京都弁のネイティブスピーカーに見てもらったところ、おもしろいようにチェックが入りました。
助詞を省く、語尾がワンパターンなどは序の口で、“古くさい”という一文字に厳しいご指摘がありました。京都ではこれは悪意が見える言葉に属する表現のようで、それならこんな風に言いかえたらいかが、とやんわりとした言いまわしを教えてもらいました。京都弁といっても、芸者さんたちの使う花街言葉から、西陣界隈の言いまわし、それに御所言葉など、微妙にニュアンスをかえた表現が存在するそうで、おもいしろいこと、おもしろいこと。5行のリードの仕上がりは本誌をご覧いただくとして、勉強になりました。東京弁の語感の強さ、ストレートすぎる表現は、関西の人々の耳にはズキズキきているのでしょうね。人と人とのコミュニケーションの基本に言葉ありきですから、これはもっと慎重に考えるべきことと思い知るに至りました。
実をいうと、私は北海道小樽の出身。石川啄木の歌に「悲しきは小樽の町よ 人々の歌うことなき声の荒さよ」というのがあります。小さな頃から、家族の会話の中に、時々この歌が引き合いに出されていました。「もっとやさしく言いましょうね」親のしつけも、あまり功を奏したとは言い難く、長じて、今、京都の歴史に深く学ぶ次第です。
盛夏号では、この他、奈良の陶芸家・辻村史朗さんを取材しています。茶陶器の世界では、押しも押されもしない大変な逸材。一万坪という途方もない森の中で、作陶三昧の日々を送っています。50歳を過ぎたら男子たるもの自分の顔に責任をもつ−−撮影後のフィルムには良い笑顔がいっぱいありました。後日、「人物中心の構成になります」と編成についてご自宅に電話を入れたところ、奥さんの三枝子さんが出られました。そしていわく、「ホホホ・・・・・・顔には自信がありますの。でも非売品て書いていただこうかしら」。評論家の林屋晴三さんが折紙をつけたスゴイ女性。今回、その三枝子さんの写真がないのが残念。
第10話 「変わり種、新花鳥風月のうらばなし」
2001年07月12日